ページの先頭です。

技術研究開発センター

東亜発祥の地

東亜建設工業 施設マップ
浅野総一郎像 埋立稲荷神社 亜細亜丸カッターヘッド 関 毅 レリーフ
  1. 浅野総一郎像

    当社の創業者である浅野総一郎の銅像。浅野総一郎は、「臨海工業地帯開発の父」と呼ばれる実業家で、1914年(大正3年)に鶴見・川崎地区の埋立工事のために当社の前身である鶴見埋築株式会社を創立した。1942年(昭和17年)にセメント像として制作され、1959年(昭和34年)当地に移設された。その後、2007年(平成19年)に銅像(3.1m、940kg)として再建された。 浅野総一郎像

  2. 埋立稲荷神社

    埋立稲荷の名称をもつ全国でも珍しい神社。1933年(昭和8年)に京都の伏見稲荷から分祀してお札を納め、二代目浅野総一郎と当時の潮田神社の宮司により「埋立稲荷神社(正一位埋立稲荷大明神)」と命名し、建立された。建立の目的は工事の安全と社運隆盛で、毎年11月に当社グループ各社により埋立稲荷祭を開催し、工事安全を祈願している。 埋立稲荷神社

  3. 亜細亜丸カッターヘッド

    ポンプ浚渫船「亜細亜丸」に装備されていたカッターヘッド。
    技術研究開発センターが位置する鶴見区安善町は、当社の前身である鶴見埋築株式会社が、大正時代にポンプ船にて埋立造成した地である。 亜細亜丸は、当時の技術を受け継ぐとともに、最新技術も採用して、昭和37年に建造し、国内および海外の港湾整備に活躍した。
    亜細亜丸カッターヘッド

  4. 関毅レリーフ

    ポンプ船の父 と呼ばれた関 毅(ハタス)のレリーフ。 関は東京帝国大学土木科を主席で卒業し、鉄道院(国鉄の前身)で技手を勤めていたが、東大時代の恩師であり「港湾工学の父」と呼ばれた廣井勇教授の推薦により、発足当初の鶴見埋築株式会社に招聘され、国産電動ポンプ船開発の中心を担った。 レリーフは、戦前に建立されたが、戦時中に所在不明となっていた。近年発見され、2008年(平成20年)に再建された。 関毅レリーフ

ページトップへ